経済学は宗教なのか

今から述べることはあくまで経済学の素人が考えていることをただ並べているだけなので、多めに見てください。

 

昨今の経済状況はリーマンショック以上のものだとか騒がれて、コロナで死ぬ人よりも経済で死ぬ人の方が多くなるから、ガンガン人が動くべきだと言う人も多く見られます。

まあ医学生的には、第一に人の動きを減らしてコロナで死ぬ人が減って、その影響で経済で死ぬ人は国が支援をしてくれればいいのではないかと思います。

その支援のやり方については、散々議論されてるでしょうし少し置いておきます。

 

やはり、国が支援してあげてほしいと思うんですが、そこで問題となるのがそのお金の出どころ、すなわち財源です。

こういう不況になると、職を失い生活に困る人が現れることになりますが、そんな時に政府は、一時的に借金をして雇用を増やし、経済が少しでも回るようにするというのが学校で習ったものだったと思います。

この国債の残高が1000兆円を超えるということになりそうですが、これが増えることにどんな意味があるのかという疑問は少しあります。

 

よく国民一人当たりの借金と言って残高を人口で割っているのをニュースで目にしますが、別に国民全員が等しく国債を買ってるわけではない(銀行などが預金で買っているのはあると思うが)のでピンときません。

個人的には借金があるということはその分利息を上乗せして払わないといけないので、借りたお金で利息分以上の利益をあげないといけないということだと思ってます。

実際、国債を発行しても償還期限を迎えたら国債を発行して借り換えを行っているので借り換えで利息分もさらに借金をするという構図になっていることは明白です。

 

それに加えて社会保障や公共事業などで新たに国債を発行するのでその分の償還期限が来たらまた借り換えが起きます。

さすがにこれを繰り返すと雪だるま式に国債の発行残高が増えるだけなのではないのでしょうか。

しかも、現在はマイナス金利政策で低コストで国債を発行できるでしょうが、国は、2%の物価上昇を目標にしているので、仮にそれが達成されるのであれば、間違いなく借り換えのコストは増大します。

なので、歳出に占める利払いの額は年々増えることになるので、プライマリーバランスの黒字化くらいは達成しといたほうがいいのではないかと思ってます。それ以上の国債の完済は全く意味のないことだと個人的には考えます。

 

 

裏打ちされたものがあるわけではないのでうわ言程度ですがこんなことを考える今日この頃です。